地方コンプレックスから

 先月末、卒論をなんとか提出した。地方とはなんなのかということについて。ずっと昔から考えていたことで、でもぼんやりとしか考えていなかった。そして考えていたというよりは、「気にしていた」。卒論じたいは本腰をいれるのが遅いが故のいつもどおりの時間切れでめちゃくちゃだったと思っていたが(じっさい推敲をほとんどしていないので、文章としては本当ならひとに読ませることのできるようなものではない)内容については先生に褒めていただけて、本当にうれしかった。あまり納得いかなかったけど苦しまぎれの結論をいちおうだせたことについては、ずっと気にしてきた地方らしさと、地方らしさを気にするじぶんにまがいなりにも相対できたから、よかったと思っている。

 地方には、全国どこにでもみられる地方らしさがあると思う。だだっぴろい駅前、寒そうなイベントのポスターが目立つシャッター街、磯とガソリンの匂い、異国の人々の自転車の群れ、ヤシの木とネオンの看板のスーパーマーケット、潰れたままのうどん屋、もとはレンゲ畑だったところにできたでかい「ゆめタウン」(中国地方以西を中心に展開する郊外型ショッピングモール。このネーミングも深読みできる)、ユニクロ、回転寿司屋、田んぼ、ローソン、工場、突如としてしかし頻繁にあらわれる荒れ地、巨大なガスタンク、海。 

 地方とはなんなのだろう。東京や、郊外や、地方都市や、点々とのこる農村、豊かな自然の田舎ともちがう、地方。私の実家のまわりは長い間塩田だったので塩のつく地名で、塩田という姓も多かった。その塩田が昭和のはじめに埋め立てられて出来たのが工業地帯の「昭和町」で、そのなかの昭和港は最近大企業に埋め立てられて大型船の製造ポートになった。祖父は昭和港に仲間と船をつないでいたが、お金をもらって追い出された。正月に帰省してびっくりしたのが、いままで実家から歩いて昭和港に降りることができたのが、港に行く道も封鎖されて、海が見られなくなっていたこと。海辺の道を歩いても、堤防の向こう側、海だったところにはコンクリートと砂利が広がっていた。堤防の端に佇む「海のお地蔵さん」は変わらずコンクリートに向かって手を合わせていて、シュールだった。

 行き詰まりの造船業を拡大していくことでもたらされる利益は、この先のことを考えると余計に、海の代償になるとは思えない。場の性質はかりそめの理由で失われて、それがあった時代には戻れない。ならば、せめてじいちゃんが死ぬまでは海と小さな船がちかくにあったらよかったのに。時が流れて何かが変わるのは当たり前だけどもの悲しくて、けれども、いっぽうで高校生の私は友達と「ゆめタウン」に通い、家族と回転寿司屋に行った。その矛盾が、私が好きな故郷としての地方で、見ていてギュッとなる地方なのだ。たぶん、どこにでもある地方の風景なんじゃないかと思う。ただ親しんだものやノスタルジックな景色が失われてしまうことだけがつらいのではない。何とかきわきわでふみとどまっていたものを拡張してしまうことが「善きこと」と感じられないし、その拡張に荒廃をかさねずにはいられない。見田宗介の「新しい望郷の歌」や、それを引用した吉見俊哉の『都市のドラマトゥルギー』の家郷の創造(人々はもともとの家郷を喪失して東京に新しい家郷をもとめたという話だったと思う)の部分を読んだときには、地方のことを気にする理由がわかった気がして、なんとも言えない気分になった。エモいってこういうときにも正しい語法で使えるかもしれない。地方はエモい。エモいものとして現象してしまう地方。

 卒論の口頭諮問の途中で先生が、今年の卒論なんとなく全体的にノスタルジーの参照が多いのはなぜなんでしょうね、みたいなことをおっしゃった。地方のエモさもまたノスタルジーを参照することが有効で、ポストゼロ年代に成人した私たちが感じざるをえないものなのだったら、じぶんだけのものだと思い込むよりも、その意味を見田宗介真木悠介)のいう<明晰>のもとに相対化したいと思う。家郷を、「いま・ここ」や、手元にあって参照可能な過去に求める私(たち)。転回するほかなさそうなんだけど、もろもろの理由による足止めと不安。私たちがコンサマトリーに生きる道はどこ。

 もし修士にすすんでいたなら、こういう線上で考えられる地方とはなにかっていうアプローチで論文を書きたかった。というか、学部の勉強としてはもっとはやくにここまでたどりつくべきだったと思う。けれども、これだけ時間がかかったということも私(たち)の実感として必要だったかもしれない。